当初は山中温泉の湯治客相手の土産物が主で生産量も少なかったが、1913年の温泉電軌の開通により、原料の調達が容易になり、かつ同県内の漆器の産地である金沢や輪島に比べて関西などの消費地に近いという利点をいかし、廉価の大衆製品の大量生産に踏み切る。

1950年代後半には、従来の白木地に加えて合成樹脂の製品も導入され1981年には、会津塗を抜いて全国一の生産量となった。

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